こんにちは、Yutoです。
大阪といえば近代建築が多いことが特徴です。明治後期〜昭和初期の建物が数多く残っており、現役で使われているところも多いのです。
今回はそれらの建築物を巡ってきたのですが、大阪という街の新たな魅力に気づくとともに、明治〜昭和までの生活スタイルや流行などにも興味を持ちました。
この記事では中之島・淀屋橋・北浜・船場の近代建築を紹介します。建物を紹介する順番が実際のルートです。全て徒歩で行きました。
大阪市中央公会堂
1918年(大正7年)竣工
中之島エリアの代表的な近代建築。ネオ・バロック様式で荘厳な雰囲気があります。1999年の補修工事により建築当時の華やかさが再生されました。大正時代の町並は思っていたより鮮やかだったのでしょうか。ちょっと見てみたかった気がします。
12月になるとイルミネーションやプロジェクションマッピングにより派手に光っています 笑
大阪府立中之島図書館
1904年(明治37年)竣工
ネオ・バロック様式の建物です。まるで神殿のような出入り口になっているのが特徴的ですね。両サイドの建物が1922年に増築されたものことで現在の姿となりました。
日本銀行大阪支店
1903年(明治36年)竣工
RPGに出てくる城のイメージにかなり近い印象です。曇り空の下だとその印象がより強くなりますね。
設計は日本近代建築の父とも呼ばれる辰野金吾氏によるもの。ベルギーの国立銀行をモチーフとしたそうです。意外と現代の高層ビルともマッチしていますよね。
辰野金吾氏は日本銀行本店や東京駅丸の内駅舎なども設計しています。
淀屋橋
1935年(昭和10年)
淀屋橋は江戸時代の豪商「淀屋」によって架橋されたのがはじまりです。現在の姿には1935年に鉄筋コンクリートによるアーチ橋です。幅が36.5mもあり8車線の一方通行になっているのが圧巻です。
大阪倶楽部
1924年(大正13年)竣工
大阪の財界人らによって設立された会員制の社交場です。
建物は南欧風の様式に東洋式の要素を加えたものだそうで、建物自体は西洋式でありながら彫刻やトーテムポールは中近東や東洋のスタイルになっています。大阪三大名建築のひとつです。
今橋ビルヂング
1925年(大正14年)竣工
大阪倶楽部のすぐ側にある小さなビルですかつては消防署だったそうで、ベランダ下の陰になっているところをよく見ると消防署ならではの赤いランプが残っているのがわかります。
現在はカジュアルなイタリアンレストラン「ダル・ポンピエーレ」として現役で使われています。この店名はイタリア語で消防士の意味だそうです。
この写真を撮った時はここで昼食をとりました。
この時代の建築物は小さなビルでも凝った意匠などが施されているのが良いですね。
大阪瓦斯ビルヂング
1933年(昭和8年)竣工
大阪瓦斯ビルヂング(おおさかがすびるぢんぐ)と読みます。名前の通り大阪ガスの本社ビルですね。アール・デコ様式の建築ですが、見た目は結構近代的なビルのように感じており昭和中期ぐらいの建物かと思ってましたが、昭和初期のものでした。
旧板谷歯科医院
1925年頃(大正15年)竣工 *詳細は不明
スクラッチタイル(奥の茶色い壁)、アーチ窓とコンクリート(手前)、丸窓などさまざまな要素がコミコミの近代建築です。1階は今も店舗として使われています。
清水猛商店
1923年(大正12年)竣工
旧板谷歯科医院の向いにあるビルです。清水猛商店(しみずたけししょうてん)と読みます。
アーチ窓やレンガの壁など西洋風建築に見えるかもしれませんが、実は木造建築物なのだそう。よく見ると瓦が使われています。
ちなみに家具屋だそうです。
芝川ビル
1927年(昭和2年)竣工
元々は大阪百足屋という呉服屋だったそうで芝川又四郎という人物が耐震性と不燃性の建物にしたいということで建設されたビルです。南米マヤ・インカの装飾が特徴的です。
芝川ビルが建つ前までは煉瓦造りの洋館、日本家屋、蔵があり洋館で帳簿などをつけていたそうですが、業務終了後は帳簿を蔵にしまっていたのだそう。
洋館は1995年の阪神淡路大震災で大きな被害をうけ残念ながら取り壊しをすることとなりましたが、暖炉は現在も保存されています。
元々は邸宅兼事務所として建てられたそうですが、まぁ広いので空間を使い切ることもなく芝蘭社家政学園という花嫁学校としても使われていたのだとか。家として建てた建物を学校にしてしまおうとは思いもつかないですが、さまざまな使い方があるんだなと感じた次第です。
船場ビルディング
1925年(大正14年)竣工
職住一体型という日本初のビルです。入ってみると意外と奥行きが深い!今もテナントが入居しており大正時代に建てられたと思わないぐらい綺麗です。
やはり人が通常通り使うことが一番綺麗に保存できるのかなと考えさせられるビルでした。
生駒ビルヂング
1930年(昭和5年)竣工
アール・デコ様式の建物です。スクラッチタイル、時計塔、彫刻などが特徴的です。現役で使われており1階はカフェや弁護士事務所があり、他フロアはレンタルオフィスとなっています。時計塔も動いています。
旧小西家住宅史料館
1903年(明治36年)竣工
かなり大きい町家です。奇跡的に戦災を逃れており船場エリアでも最大級の町家です。
旧小西儀助商店(現・コニシ)の社屋であり1994年まで本社として機能していたそうです。2019年の改修までは関連会社の事務所として使われていました。
現在は史料館として1階が公開されています。
武田道修町ビル
1928年(昭和3年)竣工
武田道修町ビル(たけだどしょうまちびる)は株式会社武田長兵衞商店(現武田薬品工業株式会社)として建設されました。この頃の建物は装飾が多いのですが、比較的装飾が少なくモダンな様式となっています。
伏見ビル
1923年(大正12年)竣工
元々はホテルとして建設されました。現在はホテルではないもののテナントビルとして使われています。
一見シンプルな見た目ですが、最上階の十字や、ビルの角が丸くなっていたり、やさしい印象の外観です。
青山ビル
1921年(大正10年)竣工
さきほど紹介した伏見ビルの隣にあるビルです。ビルの壁全体が蔦に覆われているのが特徴的ですね。
撮影したのは冬で枯れ葉が印象的ですが、春〜夏は葉っぱが緑となり季節によって表情が変わります。
三井住友銀行 大阪中央支店
1936年(昭和11年)竣工
重厚で格式ある外観はまさに財閥系銀行建築にふさわしいです。サイズの大きさもそうですが装飾の豪華さも目立ちますね。正面には古代ギリシア建築の特徴であるイオニア式のジャイアントオーダー(円柱と梁の構成法のこと)と3階部分にはローマ神話に登場するメルクリウス(商人や旅人の守護神)の持ち物が装飾されています。
高麗橋野村ビルディング
1927年(昭和2年)竣工
三井住友銀行 大阪中央支店の向かいにあるビルです。最上階だけ雰囲気が違うのは1964年に増築されたからかもしれません。
角が丸くなっていることと、各階を隔てる壁は少し前に傾いているのが特徴です。
大阪瓦斯ビルヂングと同じようにあまり古さを感じさせないデザインです。
新井ビル
1922年(大正11年)竣工
元々は報徳銀行大阪支店として建てられました。昭和に入ると新井末吉氏が買い取り、新井証券の本社ビルとして利用され、現在も店舗とオフィステナントとして使われています。
左側の入り口は店舗なのでもちろん入っていっても良いですが、右側の入り口はオフィスなので立入禁止です。螺旋階段が見えたのでめちゃくちゃ魅力的ですが、うっかり入らないように気をつけましょう。
大阪証券取引所
1935年(昭和10年)竣工
花崗岩張りの外観で円形のエントランスホールと列柱が特徴的です。2004年に全面的に増改築が行われましたが、円形の部分と外壁、内壁の一部は保存されています。
北浜レトロビルヂング
1912年(明治47年 大正元年)竣工
ビルにはさまれてポツンと佇んでいる姿は逆に目立ちます。ちょっとオシャレなビルがあるなと気になっていましたが、まさか100年以上前に建てられているとは思いもしてませんでした 笑
株仲買商の商館として建てられましたが、長い間放置されていた期間もありました。現在はリノベーションされてカフェとなっています。
まとめ
明治末期〜昭和初期にかけての建物が多く残っていることがおわかりいただけたかと思います。今回紹介した建物以外でもまだ現存しているものは多く残っているのですから驚きですよね。
さらに建物が残っているだけでなく、現役で使われている建物が多いことがさらなる驚きであり魅力でもあります。
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